「物」を大事にするということ

先日、カウンセラーを目指している方々から、ブログを楽しみにして読んでいただいているという有難いお声をいただきましたので、その方々にエールを送りたい気持ちから、私が伝えたいことを久しぶりにブログにしようと思います。
今回は新鮮な感じで文学調にしてみました。

これまで、私は特別に「物」を大事にしているという意識を持ってこなかった。
しかし、無駄に物を粗末にすることは嫌いである。
食器や小物、身の回りの物など、使えるうちは捨てたりはしないし、なぜか壊れずにいてくれるので、いつまでも同じものを使うことになる。

例年、初夏に入って日差しが強くなってきた辺りで必ず思い出す物、「日傘」を取り出してみた。
大概のものは、大事にしまっておいても、時間の経過とともに、使おうとすると劣化していて使えないこともよくある。

今年は日差しが痛いほどに強いので、その日傘が今年もまだ使えそうであったことにとても有難いと感じつつ、しかしまた、この日傘はいつから使い続けているのだろうかと思いを馳せてみる。
確か、もう10年以上、もしかすると20年近く前になるのかもしれない。
昔はよく通販や化粧品を購入すると、購入金額によって景品がついてきた時代があって、確かこれも、そんな程度の日傘だったように記憶している。
しかも、夏にしか思い出してもらえない日傘とという存在でありながら、長く使えていることに関心し、当然今年も使うことにした。

ところが、先週、その日傘をどこかに置き忘れてしまった。
力を振り絞って記憶をたどり、地下鉄の駅のトイレまでは持っていたような気がしてくる。
これは、折りたたみ傘ではないし、普通の傘よりも丈が短いので、いつかどこかに置き忘れるだろうと十数年思い続けてきたが、それが今、ついに起こってしまった。

どうせ失くしたのなら、新しくて軽くて持ちやすいものが欲しいなぁ、とか、でも長く使えていたのにもったいないなぁとか、いろんな想いが頭を過る。

しかし、どうしても失くした日傘が気になってしまい、東京メトロに問い合わせてみる。
東京メトロの忘れ物はその後どうなるかというと、当日取りに行かなければ飯田橋駅に集約されて、一週間で警視庁の遺失物センターに行ってしまうという。

置き忘れた駅に問い合わせると、もし、あればすでに飯田橋駅にあるはず、取り置きはできないから期限がくれば警視庁に持っていくと容赦ない。

うーむ、自分の傘があるかどうかもわからないし、正直、わざわざ取りに行くほどの物ではないし、時間のやりくりも大変、そして暑い中で行きたいとは思わなかった。

しかし、なぜか不思議と、自分の中に「探さない」という選択肢は浮かばなかった。
自分の傘の行方がわからないまま、何もしないで諦めるという気持ちにはなれなかったのである。

いろんな気持ちを抱え、苦悶もしてみたが、結論から言えば、私の日傘は警視庁にあった。
再び出会えた感動や感謝の気持ちを胸に、今ブログを書いているのだが、本当に伝えたかったのはここからだ。

日傘が見つかったこと、そのことそのものも嬉しかったのだが、それだけではない感覚があった。
それは、どこかで感じたことのある感覚だった。

これは何だろうと、自分の中の感覚を探ってみる。
しばらく考えてたどり着いたのは、カウンセリングにおいて、クライエントさんが笑顔に変わっていく際の、私の中の感覚に似ていた。
クライエントさんとカウンセリングを一緒に取り組む中で、クライエントさんが、自分らしさを取り戻し、自分を見出していく際に起こる、私の中の喜びの感覚と似ていた。

つまり、「これまでいろんな時間を共有してきた日傘をどこかに置き忘れ、それを探し当てる」という経験が、「クライエントさんとカウンセリングという時間を共有する中で、クライエントさんがいつかどこかに置き忘れてきた自分らしさを、一緒に探り当てる」、そんな経験に似ているのだろうか。

そうか、物からもこんなに素晴らしい感覚が得られるのか、ということに気づくと同時に、次の言葉が浮かんだ。
「物さえ大事にできない人が、人を本当に大事にすることはできるのだろうか」と。

その時、ある支援者の言葉を思い出した。
先日、ある支援者の方に、一方的に言われた言葉がある。
「メインとしていない仕事について、考える余裕はない。深くは考えないのだ」と。
つまり、その方にとって他の仕事が優先であり、業務委託で請け負っている被支援者についてなど、考える暇もなければ深く考える必要もないということなのだろう。
その方にとって、支援とは自分ありきなのである。

支援職とは、何なのか。
彼女はなぜ支援職を選んだのか。

私にとって支援職とは、いついかなる時でも、まず被支援者の立場に立って考える職業であると思っているし、私自身としても、職業を超えて、人間として他者の立場や気持ちを思いやることができる人間でありたいと思っている。
したがって、私は自分の労働形態を理由に、被支援者をないがしろにすることはない。
自分の労働形態などは、被支援者にとって何ら関係はなく、私は自分が支援している、関わっている以上、その方々の人生にも関わっているということを自覚している。
だからこそ、どんな小さな関係をも大事にしているし、関わる方々が幸せに向かえるよう、決して協力を惜しまない。

こんなことを考えながら、再び手にした日傘の温かい感覚を味わいながら、ふと思う。
自分の労働形態で被支援者の扱いが変わるというこの方は、「人間さえも大事にできないが、果たして物は大事にできるのだろうか」。

そして、私は、人だけでなく、物も大事にできる人間でありたいと、改めて思いつく。
「物をただ大事にするのではなく、意識的に大事にしてあげることが大切なのだ」と。

それからは、これまでとは違った気持ちで、「日傘」がとても愛おしく感じるようになったのである。

カウンセラーに限らず、支援とは何かを学ぶにあたって、皆さんが、本物の支援者となれるよう、本質的な学びを捧げることを心がけています。
このブログが、一生懸命頑張ってくださる皆さんへのエールとなれば幸いです。